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サンディ (ユタ州) : ミニ英和和英辞書
サンディ (ユタ州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [す, しゅう]
 (n) sandbank

サンディ (ユタ州) : ウィキペディア日本語版
サンディ (ユタ州)[す, しゅう]

サンディ()は、アメリカ合衆国ユタ州北部ソルトレイク郡の都市であり、ソルトレイクシティの郊外に位置している。2010年国勢調査では、人口87,461人であり、2000年の88,418人からは1.1%減少した〔Quickfacts.census.gov - Sandy - accessed 2011-10-08.〕。ユタ州ではソルトレイクシティなどに次いで第5の都市である。
サンディにはサウスタウンセンターというショッピングセンターがあり、またジョーダン・コモンズ娯楽と食事の複合施設やサウスタウン展示場がある。2008年10月8日にオープンしたサッカー専用のリオ・ティント・スタジアムがあり、レアル・ソルトレイクがホームゲームを行っている。
== 歴史 ==
サンディはワサッチ山脈の麓にあり、ソルトレイクシティからは南に13マイル (19 km) に位置する初期開拓地の一部である。この地域は昔パイユート族、ショショーニ族およびバノック族インディアンの遊牧民が使っており、冬の家であるユタ湖から夏の漁労場であるベア湖まで山地の麓を動き回っていた。。

サンディの恒久的開拓者は1860年代と1870年代に移動してきており、ソルトレイク・バレーの南端がまだ込み合っておらずに土地があったからだった。当初の区画は基本的に1マイル四方であり、ジョーダン川流域の東端に沿い山脈の縁に並行して南北に走る沖積平野にあった。1873年にブリガム・ヤングがここの乾燥した大地の故にサンディと名付けた。
1863年、ユニオン(7200サウス通り)とダニオン(ポイント・オブ・ザ・マウンテン)の間にはわずか4軒の家しか無かった。セインの家産は6600サウスと800イーストで1つはクレセントに1つはダニオンにあり、4つ目は現在のサンディ市域から外れていた。それから数年のうちに、ヨークシャーの農夫で1853年にユタに移民してきていたトマス・アルソップが現在のサンディ市のカウンティ道路からフォースイーストまで、アルタ道路からリンデル・パークウェイのおよそ半分を所有した。ルグランド・ヤングはフォースイーストからステイト通りまでの土地を所有した。

農夫達はサンディの名前のもとになった乾燥した大地を意のままにするために、ソルトレイクシティ中心街からポイント・オブ・ザ・マウンテンまで伸びるステイト通りにそった土地を占領した。しかし、サンディの最初の40年間の基盤を作ったのは鉱業だった。リトル・コットンウッド・キャニオンで銀採掘が始まったとき、起業家達はサンディを供給基地として認識した。間もなくそのメインストリートにはホテル、酒場および売春宿が並び、坑夫達が稼いだばかりの賃金を遣う目的地になった。サンディにはフラグスタッフ、ミンゴおよびサターンと呼ばれる3つの大きな製錬所ができた。このことでサンディを長年製錬の地域中心地にすることになった。

サンディの歴史の歩みを決定付けるには鉄道も大きな役割を果たした。1873年、サンディとソルトレイクシティを結ぶ鉄道が完成し、地域を行き交う鉱石などの製品を運ぶ手段になった。1907年にできた路面電車線はソルトレイクシティで職を持った人々を運んだ。後には自動車がその役割を果たすようになった。

1890年代に鉱山が衰退したときにサンディも行き詰まり、その後の市経済は農業社会への転換が進んだ。サンディが、鉱床が無くなったときの鉱山町のように消失しなかったという事実は、その位置、資源および住人の気質によるものだった。

サンディは1893年に自治体化されたが、これにはモルモン教徒住人が町の中の「不快な」要素と考えたものと戦おうとしたこが一部貢献した。サンディは始まりが鉱山だったために、ユタの他の田園町とは異なり、ブームタウンの要素があった。サンディは自治体化した後に自身を再定義したかのようだった。多くの独身者や流れ者が町を去った。1900年までに酒場やホテルは少数になり、町の中では誰もが互いに見知りあいであるユタの他の田園町に大変似てくるようになった。教会、農園、事業および家族が住人世界の焦点を形成した。

60年間以上続いたこのような生活のペースと様式は、戦争、世界恐慌および移り変わる季節でのみ中断された。人口、経済傾向あるいは社会の風習には大きな変化が無く、生活のありきたりで安定したリズムを変えることは無かった。

しかし、この田園町がその第二のブームと共に劇的な変化を遂げたのが1960年代後半だった。地元の指導者や住人は、メインストリートとセンターストリートに沿った論理と歴史の中心からサンディが外に向って成長すると常に考えていた。しかし人口の拡大は地区があらゆる方向に広がっていくにつれて、その物理的中心には関係なくなった。

1970年代には小さな地域社会が形をなし、伝統的に市が行っていたサービス、学校およびショッピングを肩代わりした。ソルトレイク郡とサンディが土地と資源の支配権を巡って競い合うにつれて、合併の問題が大きくなっていった。サンディは若者と家族指向の住民を特徴とする小さな地域社会の集合体になった。当初はベッドタウンと考えられ、現在でもそのような機会が多いが、ステイト通りやその他幹線道路にそって繁盛する商業地を抱えて発展してきた。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サンディ (ユタ州)」の詳細全文を読む




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